2013年9月30日月曜日

まっすぐ

まっすぐを生み出す力は
まっすぐではない
まがりくねり
せめぎあってる
「まっすぐ」/谷川俊太郎


最近、しみじみと噛み締めた言葉です。

まっすぐ生きるのには、とてもエネルギーがいると思います。まっすぐは「正しい」とか「立派」とかいう意味ではなくて、もっと自分の心に正直な、価値観や「信念」に近いものを思い浮かべていて…

それには、ものすごい葛藤や、自分の中の裏付けが必要だったりします。

まっすぐ生きるのは、けして楽チンではない。

私は少し理屈っぽく考えすぎる方なのかもしれませんが、ピアノを弾くのも教えるのも、やはりその都度、葛藤するし、模索するし、あらゆる思考に裏付けを求めて悩みます。

まっすぐな音(美しい音)は、ただ鍵盤をポンと叩いて出るものではなく、訓練によって、技術によって、初めて生まれるものです。

飾り気がなくシンプルに見えるものほど、その裏側には「まがりくねったもの」の裏付けがたくさん隠れている。

私は自分が勉強すること、ピアノを弾くこと、演奏することを、指導者の立場になった今でも大事に思っています。

生徒が本番前に練習に苦しむとき、舞台袖で緊張するとき、「遠い昔に経験した感覚」ではなく「今も生きている感覚」として感じていたい。生徒がレッスンでうまく弾けない時、自分の中の在庫の知識を教えるのではなくて、進行形のアイデアから教えたい。

「先生」ではなく「ピアノを弾く人の先輩」でありたい。私の場合は、それが一番自信を持って生徒たちにピアノを教えられる、自分自身の姿だと思うんです。

正直、しんどくなる時もあります。負荷も高い。やめたくなることもあります。

でも、このまがりくねってせめぎあったものが、自分の「まっすぐ」を支えているのなら、続けるべきなんだろうなぁ…。

そんなことを思いながら、また練習をがんばるのでした。


谷川俊太郎さんの詩の一部が、日ごろ感じていることとリンクしたので、思わず記事にしました。詩の本来の意味合いや作者自身の意図とは、かけ離れている可能性もありますが、どうかお許しください(^_^)

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