2011年11月17日木曜日

タコの手

最近「タコの手」という言葉をよく口にします。

子どもはどうしても関節が弱いので、すぐに指先が反って蛇のようにくねくねしています。

「手の形が多少悪くても、とりあえず鍵盤が沈めば良いのでは」と思われがちですが、それは全く違います。まだ足首や膝が弱く足元のおぼつかない子どもが、うまく歩いたり走ったりできないのと同じで、くねくねの指ではスムーズに弾くことはできません。

まだ4分音符ばかりの簡単な譜面の時はなんとかなっても、細かな動きが出てくるとたちまち、そのくねくねの指をカバーする為に手のひらや手首を振り回し、振り回すから余計に指の小回りがきかずうまく弾けない…という事態に陥ってしまいます。

私自身も幼い頃は指が弱くて、よく母親に「そのタコみたいな手やめなさい!」と叱られた(いえ、しばかれた…)ものでした。

その当時は「やってるもん!」「できてるもん!」ってなものでしたが、本人の意識が行き届かないからこそそのような指になってしまうので、自分で直すというのはなかなか難しいものなのです。(幼いですし)そばで逐一指摘してくれる母がいてくれなかったら、私の指が安定するのはもっともっと遅かったと思います。

タコの指のまま放置すれば行き詰まってしまう(かなり早い時点でそうなる)ことがよくわかっているので、生徒の手の形や指の動きについては導入のころからしっかり指導します。

クリスマス会(弾き合い会)も近くなり曲が仕上がってくる中で、曲を弾き慣れてくるとどうしても指への意識が甘くなってしまう傾向にある生徒が多いように思います。譜読みしたばかりで、弾くことに必死の時には指にしっかりと意識がいっていたのに、よく弾けるようになればなるほど指がくにゃくにゃしてくるのです。

そこで、私の口から飛び出すのが、かつて自分が散々言われていた言葉…

「あかん!そのタコの手!」「ほら!またタコになってる!」

こうして娘は母親にそっくりになっていくのかなと思うとなんだか悲しいのですが…

教える立場になって、尊敬する先生方(親も)の教えや、生き方や、想いが、あらためて自分の内に確かに息づいていることに気付きハッとする機会に、これまで以上にたくさん出会うようになったように思います。

タコの指も然り…。
私の受けた恩恵や、私の得た少ないけれども貴重な経験や知識のすべてを、「次の人」へ分け与えてゆくという使命を、つくづくと感じています。

2011年11月10日木曜日

大人の生徒さん

今朝は1年半ほど前からこの教室に通って下さっている大人の生徒さんのレッスンでした。

この生徒さんは、ピアノを本格的に始められたのは大人になってから。最初は他教室のグループレッスンに通っておられましたが、もっとじっくりレッスンを受けてみたいとのことで、当教室をお尋ねくださいました。

最初は、指で鍵盤をしっかりつかむことも、リズムを正確に取って弾くことも、苦労されていましたが、いつも前向きに着実に取り組んで下さって、この1年ほどで見違えるほどに上達されました。(ご本人もその変化を感じて喜んでくださっているのが、私も嬉しいです)

大人の生徒さんは現在、4名いらっしゃいます。みなさん2〜3週間に1回のペースでコツコツと通って下さっています。いつも感じるのは、それぞれ日常生活(お仕事、育児、介護、など…)がおありの中で、「ピアノが上手になりたい」「素敵にピアノを弾きたい」という想いでレッスンに通って下さっていることの、尊さや、素晴らしさです。

私などは、教師であり、専門的に音楽を勉強している身であり、練習しレッスンへ通い勉強し続けるのは、半ば「おしごと」というか「あたりまえ」のようなものですが、教室に来て下さっている方々は、そうではありません。

「ピアノを弾かなければならない」 理由はなにもありません。ただただ純粋に「音楽が好き」「ピアノを弾きたい」「上手になりたい」という想いで通って下さっている方ばかり。

色んな生活のご事情で、よく練習してこられる回もあれば、ほとんどピアノに触れられていない回もあります。小さなお子さんのおられる方などは、お昼寝してるあいだにこっそり練習しました!と仰る方もおられます。それでも、一生懸命にレッスンへ来て下さるのです。

そんな風にピアノに取り組んでおられる皆さんの姿をみると、「自分なんかよりよっぽどすごくて、えらい。」と、いつもつくづくそう思います。そして「ピアノが好き、上手になりたい」という根本的な、でも一番大切な想いに、あらためて気付かされます。

そんな生徒さんたちの素敵な想いを大切にできる教室でありたいと思いますし、私自身もまた、大切にしていたいと思います。