2011年10月27日木曜日

プロティッチ先生のレッスン【2011.10.26】

約半年ぶりにプロティッチ先生のレッスンへ行ってきました。
今日はバッハの「イタリア協奏曲」と、ブラームスの「ヘンデルの主題による変奏曲(途中まで)」をみていただきました。

レッスンを受けると「あぁ、私の音は『違う』 んだなぁ」と、やっぱり、つくづく、あらためて、思い知らされます。『違う』というのは感覚的で表現が難しいですが、「美しくない音」「この一音を弾くために適さない音」といった感じでしょうか…。

今日、すごく腑に落ちたことは、「このように弾けばこんな風になる」とか「このように手を動かせばこのフレーズが弾ける」というマニュアル(定型?)なんてものは、存在しないのだということ。(今更?って感じですがそこは目をつぶっておいてくださいね…)

つい安易に、知っている技術を新しい音楽に当てはめてどうにかしようとしてしまうのですが(もちろん中には当てはまるものもあるでしょうが)、音楽ってそんな風に、アルバイトのマニュアルのようなものではないのです。

100個のフレーズがあれば、100通りの弾き方があります。

テクニックに音楽をあてがうのではなく、音楽(の中にあるフレーズや音)を美しく奏でるためにテクニックが生まれる。まずはじめに、音が、音楽がそこにあるのだということです。

この半年ほど、手のポジションや体の使い方に意識を集中して練習していたので、形ばかりになってしまって(もちろんそれも大事なのですが)、そもそもなんのためにそれを求めているのか…という根本的な問題が、どこかへ行ってしまっていたように思います。

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今日は午後から声楽家のYさんも合流されました。3人でお食事をして、その後はYさんのレッスン。最後まで聴講させていただきました。

意外かもしれませんが、一流の音楽家さんになると、ピアニストが声楽家のレッスンをなさったりするんですよ。 もう「ピアノのレッスン」や「歌のレッスン」という枠を超えた、「音楽のレッスン」という感じなのです。

それはそれは夢のような時間でした。こんなに素晴しいものがこの世にあるのかというような…。幸せでした。

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ピアノの練習というのは、プロフェッショナルになればなるほど、本当に途方にくれるような細かな練習の積み重ねになってくるように思います。あまりに細かすぎて、昨日より良くなっているのか、変わっていないのか、道を外れて悪くなっているのか、自分では分からなくなることもしばしば。

そのうちに、「毎日こんな細かいことをしていて、いつ先生の音楽に近づくんだろう」→「だいたいいつになったらまともに仕上がるんだろう」→「私なんかがこんなことをしていても無駄なのでは」→「モチベーション下がる」という思考回路に…。

でも今日、プロティッチ先生のレッスンを受けて、やっぱりその幾千幾万の『細かな積み重ね』が繊細な音楽を作るのだと、あらためて感じました。試行錯誤しながら、とにかく積み重ね続けるしかないのですね。

また新たな気持ちでがんばれそうです。充電完了です!

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