2014年1月29日水曜日

先生といふもの

先生って何なんでしょう。
色んなタイミングで考える機会があります。

「ピアノの上手な先生」
「楽しくレッスンしてくれる先生」
「憧れの先生」
「指導力のある先生」
「音楽界の権威のある先生」

先生によって、関係性によって、色んな枕詞がつくんだろうなと思います。

今日は生徒目線からのお話。


「先生(師)とは何なのか」私自身が教えられ、今でも忘れられない言葉があります。

それは、

「白いものを指して『これは黒だ』と言われても『そうなのか』と思えるくらいでないと、本当の意味で先生に何かを習うことなんてできない。『そこで右向いて一日立っていなさい』と言われれば、『何か意味があるはずだ』と思えるくらいでないと。」

という言葉です。

そのまま受け取って頂くとちょっと困りますが・・・(^^;)

中国の教えか何かで、偉い先生に弟子にしてくださいと頼みにいった男が「では今からそこにある石があなたの先生だ。その石を前に座っていなさい。」と言われその通りにし、しばらくして男は石から教えを学び満足して帰っていった…というような話があったかと思うのですが、

信じ、依り頼む心があれば、どんなものからでも学び、またどんなものも「先生」になる。また、その心がなければどんな先生に習っても教えの本質を得ることはできない。ということです。

人にものを習う生徒(弟子)の姿として、ある一定の期間、また、ある専門の分野において、ある意味盲目的にその先生(師)を信じ、どんな一言も聞き漏らすまいと追い求めていく心構えは、必要不可欠だと思います。


そのような心構えのある生徒(弟子)は、先生(師)に「これは黒だ」と白いものを指されても、こう思うわけです。

「先生には黒に見えてらっしゃるのか。
 私の目と先生の目は何が違うんだろう。
 私には何が見えていないのだろう。
 先生に有って私に足りないものは何だろう。」

まずは素直に先生の言葉を受け入れます。
普通なら「先生なに言ってるのかしら。どう見ても白なのに。」と思うでしょうが、師の教えに対する信頼から、そこに何らかの意味を見いだそうとする心理が働きます。

やがて、捉え方の差に対する疑問が生まれ、師の行動を逐一観察し始めるようになり…。弟子は師のちょっとした動作も見逃さないよう、一言一句聞き逃さないよう、注意深く師と関わるようになるでしょう。

「先生なに言ってるのかしら。」としか捉えられない弟子と、どちらが師から豊かに学びを得られるかは、言わずもがなですね。


なにも師弟関係が「人として(プライベート)」までそうであるべきとは思いません。年齢や人生経験など、生徒より先生の方が未熟なことも往々にしてあるでしょう。ただ、少なくとも師弟関係にある専門分野に関しては、素人とプロの差があるわけですから、そこは区別が必要です。

先生(師)は生徒(弟子)の信頼に値する器であるよう、その道を究めるべく日々努力をし続けるべきでしょうし、その姿を生徒に示す責任があると思います。ただ、そんな師の姿も、見るべき視線を持たない弟子の目には、映ることもないのです。

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