2013年12月23日月曜日

やるせない気持ち

土曜日は生徒のコンクールに同行しました。

かなり高いレベルで、彼女の持っている力のほとんどを出せた、とてもよい演奏だったと思います。

何より、音の美しさが際立っていました。叩かない、木がぶつかるような音のしない、繊細な音。彼女の音を聞いた瞬間、これまで教えてきたことが間違っていなかったと、確信出来たほどでした。

問題は採点。

「美しい」とする音や音楽の捉え方が根本的に違う、と感じざるを得ない結果でした。

アドバイスカード(個々に渡される審査員からの講評)にも、別の出演者のものなのでは?と疑問に思うほど、的外れで、同意し難いことが書いてあり…

夏のファーストステージでもそうでしたが、別の、よりハイレベルで全国的規模のコンクールでは「よい」とされるようなレベルのものが、ここではまったく評価されないのです。

セカンドステージに進み全体的なレベルも上がって、少しは全国レベルに近い評価に近づくのかと思いましたが、まったくもって変わりのない審査傾向に、心底がっかりしました。

鍵盤をこれでもかと激しく叩きつけるような耳の痛い音が「良い音」とされ、身体をくねらせて弾くことが「音楽的」とされる。

例えるならば「柱や基礎はボロボロでも、塗装や飾り付けが煌びやかな建物は良い家だ」とされるような基準です。

そんな家に住みたいと思いますか?…また、その家が何十年も長持ちすると思うでしょうか。

…と、憤りを隠せず色々と書いてしまいましたが、けして正しさや非のなさをただただ主張したいというわけではありませんので、ご理解いただけると幸いです。

もちろん、演奏に反省すべき点や課題はまだまだたくさんありますし、私自身が勉強不足、指導力不足だったと反省する部分もたくさんたくさんたくさん…あります。

今回の経験が無駄ではないにしろ、もっと良い形で生徒を導いてやれたのではないか、もっと発展的なステージを勧めてやれたのではないか、こんなやるせなさを感じさせずに済んだのではないか…と、ずっと頭をめぐり、また、考えています。

まだまだ未熟な教師だと思います。

…が、目の前にある結果を最良の方法で次の成長へと繋げていくこと、そのために努力し、勉強し、私自身も闘い前進し良い演奏を示すこと、いつだってそうやって歩いていくしかないと思っています。

心のハチマキを締め直して、またがんばります。
ええ、とにかくがんばらなければ。

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