今日は、大阪西成区にある岸里教会という教会へ、結婚式のリハーサルにいってきました。
挙式でオルガン奏楽をさせて頂くことになっているのです!
この教会で結婚式の奏楽をさせていただくのは2回目です。私はピアノ専攻なのでオルガンは専門外ですが、大学時代に通っていた教会での奏楽の経験や、この教会に通っておられる声楽家さんの伴奏をさせていただいた繋がりがあって、ご依頼をいただきました。
礼拝(結婚式も含めて)での奏楽はけっこう特殊なところがあります。
例えば、献金の時の奏楽です。献金は、担当の方がかごをもって回ったり、かごを順番に回したりして集めます。その時に演奏するBGMは「全員の献金が終わると同時に曲を終了させなければならない」ので、人の動きもこまめに見ていなければならないですし、どの部分を弾いていてもスマートに曲を終了させる術も持っていなければなりません。
結婚式だと、入退場の時の曲、指輪の交換の時のBGMで、これをしなければなりません。
私はわりと几帳面で、なおかつ、ものすごく心配性な性格なので、このための準備はすさまじく念入りに行います。簡単に言えば、何パターンも何パターンも、とにかく考えられるすべての終了パターンを練習します。時には、1小節毎に終了パターンを考えたりします。気が遠くなりますよね。笑
でもやります。本番に使用するのはその何十のパターンの中のたった1つですが、それでも、やります。
もちろんそんなことをしなくても、その場その場で臨機応変に「できちゃう」人(いわゆる、アドリブのきく人)もいらっしゃると思いますが、私は性格上そういう挑み方はできないので、無駄が多いかもしれませんが それだけ時間を費やして準備します。
損な性格なのかなぁと思うこともありますが…でもこういう努力が自分自身の等身大の「プライド」を作り、保っていると思うので、やっぱり外せない大切な行程なのです。
それに、本当の意味の「プライド」は、努力とそれによる経験からしか得られないのではないかなと思っています。
自分は、自分以上でも自分以下でもありません。自分以上に見せかけようとすると「虚栄」になってしまうし、自分以下に見せようとすると「心にもない謙遜」になる。どちらも偽物の自分に過ぎません。
私は無駄に自慢するのも、無駄に謙遜するのも嫌いです。だからこそ「まだまだ」と思えば正直に「だめだ」と言うし、「がんばった」と思えたら正直に「よかった」と言います。でもそのためには、努力の積み重ねによる裏付けがいつも必要。
今日のリハーサル中に教会の副牧師さんからBGMを適当に終われることを褒めていただいたところから、色んなことを考えていました。とりとめもなく…。オチもまとめもありませんがご了承ください。(文章の終わり方は練習不足のためヘタクソです)
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